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 やっと客間のドアのあく音がして、瑛子がこっちの部屋へ出て来た。上気した頬の色で、テーブルのところへ突立ったままでいた順二郎と宏子のわきを無言で通り、黙ったまま上座のきまりの席に座った。
 そういう母に宏子も順二郎も何も云えなかった。それぞれ坐り、ちぐはぐな夕飯がはじまった。瑛子は箸をとると、型どおりお椀のふたをとったり、野菜を口へ運んだりした。けれどもその様子はただそうやってたべているというだけで、全く心は娘や息子のところに来ていないことが感じられる。宏子は胸がいっぱいで味も分らなかった。
 田沢は帰らないで、別な膳が一つだけ彼のために客間の方へ運ばれている。そんなにしてまで、一家の空気の中に彼の存在が主張される不自然な苦痛な緊張が、妙にごたごたした前後のいきさつの裡にあるのであった。
 一言も口を利く者もなくてこっちの食事が、落付かない雰囲気の中でどうやら終った。すると、瑛子はすぐ立ちかかって、
「お客間へお茶がいるよ」
と女中に云ったなり、息子と娘に言葉をかけず着物の衿元をつくろいながら、化粧を直すために洗面所の方へ行ってしまった。
 白堊の天井から頭の上に煌々と百燭光が輝いている。一輪插し、銀の楊枝箱、鋏、装飾用の寒暖計などがのっている飾盆を挾んで、再び順二郎と宏子とはテーブルのところにのこされた。隈ない光を浴びている順二郎のふっくりとした柔和な顔は幾分蒼ざめて、鼻の下に和毛の微かな陰翳はごみっぽいような疲れたような感じに見える。彼はさっきからひとことも云わず、ふだんより余計瞬きをするような表情で姉を見ているのであった。しばらくして、
「順ちゃん、これからどうする?」
と、宏子がやっとのことで出したようなあたりまえの声の調子できいた。
「僕?」
 嵩の高い膝をすこし揺るようにして、順二郎はその独特なふくらみで顔に表情を与えている上瞼の下から素直に姉をみた。
「僕はドイツ語の文典をやる」
「――順ちゃん。一円ばかりもってる?」
「うん、あると思う」
「かしてね。あとで母様に云って返してもらって。――いい?」
「ああ。今すぐ?」
「うん」

 ルイザは、天気にも、教父にも、または夫のハンスに対しても、ちっとも苦情を云うべきことのないのは知っていた。
 自分達位の身分の者で、村の誰があんな行届いた洗礼式を、息子に受けさせてやったろう。四月の第二日曜のその朝、天気は申し分のない麗らかさであった。暖い溶けるような日の色といい、爽やかな浮立つような微風といい。彼女は、ハンスと婚礼した時からの思い通り、由緒ある伊太利亜(イタリア)レースの肩掛にフランツを包んで、教会に行った。
 ハンスは気張って、きまりの献金のほかに、打紐で飾った二本の大蝋燭と見事な花束とを聖壇に捧げた。
 教父は至極懇ろであった。
 丁寧にフランツの頭に聖水を灌(そそ)ぎ「主の忠実なる僕、ハンス・ゲオルグ・ヨーストの一家に恵深き幸運を授け給え」と、祈祷書にない文句さえ、足して称えてくれたのではあるけれども、ルイザは、教会からの帰り、見晴しのよいだらだら坂を、滅入った心持で下りた。彼女には、仕立屋のカールが、不意とフランツをあやすのをやめた、そのやめかたが気になっていた。郵便局の細君が、フランツのくるまっているレースをことさらに褒(ほ)めた。その褒めかたがルイザの心持を曇らせたのであった。
 彼等が、小ざっぱりとした安息日の盛装で教会の広場に現われると、真先に見つけて近づいて来たのは仕立屋のカールであった。
 彼は、のしのしと大股に近づいて来た。そして腕を振り廻してハンスと握手した。
「どうだね」
 彼は、酒肥りのした厚い瞼の間から、じろりとルイザの抱いているものの方を見た。
「男かね、女かね」
 ハンスは、口のまわりに微かにばつの悪そうな表情を浮べながら低く答えた。
「男の子だ。――親父の名を貰ってやったさ」
「ほう! 男とはうまいことをやりおった。せっせと金箱を重くしても、娘っ子に攫(さら)われちゃあ始らないからな」
 仕立屋のカールは、ルイザの方へやって来た。ルイザは初めての児を褒められた嬉しさに、自分の方から膝をかがめて挨拶した。
「どれどれ、一寸のぞかせて下さい。儂(わし)でもこれで三人孫をあやして呼吸は知っているよ」
 ルイザは、フランツの額の上からレースをどけて顔全体がよく見えるようにした。
 カールは、大儀そうに腰をかがめ、キ、キ、キ、と舌を巻きあげながら、年寄らしい愛嬌をふり撒いた。
「ふむ、なかなかよい児だ。男になれよ」

 どんなひとでも、はたからは、その人に似た人というものの話をきかされているだろうと思う。よく知っている者が、その似たというところの話されているのをきくと、案外、まるで似てもいないのに、とびっくりするようなこともある。私たちが互にひとの顔だちなどのどんな特徴をどうつかんでいるのかということは、一応はっきりしていそうでなかなかはっきり定ってしまえないものなのでもあろう。顔だちと、顔つきとは実に、微妙にからまりあっていて、而も一つのものではないのだから。
 自分の顔なんか、迚も自分で話せるものではないと思う。随分大した顔付をしていることもあるんでしょうから、どうぞあしからずと笑うしかないようなところがある。

 写真ずきと写真ぎらいとの心持の理由はいろいろあるだろう。私はフラッシュがいやで、つい堅くなる。自分にそれが向けられていなくても、音楽会などで近いところでそら、もうじきフラッシュが閃くぞと思うと、体が堅くなって来る。

 深夜の鏡にチラリとうつる自分の顔は、気味がわるくて、ちゃんと視たことがない。真夜中、おなかが空いて、茶の間へおりて来ると左手に丁度鏡があって、廊下からのぼんやりした光りで、その鈍く光る面をチラリと自分の横顔が掠める。それは自分の顔とわかっている。でも、その薄ぐらい中で覗きこんだら、覗きこむ自分の二つの眼も気味わるい。電燈をひねるまで真直を見て足さぐりで進む。

 人間のいい顔とはどんな顔つきをさすだろう。大なり小なり、自分以外のものごとにしんからの同感が溢れている時の顔、それはなかなか美しいものだと感じる。

 晴子が手を出すと、尾を振りながら跟いて来た。
「何だお前の名は――ポチか? え?」
 そして、父が短い口笛で愛想した。
「ポチかもしれないわ。なんだかポチ的表情よ平凡で」
 浜は遠い箱根の裾までひろがっているのに見渡す限り人影もない。犬も淋しそうであった。頻りに尾を振り、前になり、後になり、真白な泡になってサーと足許に迫って来る潮を一向恐れず元気に汀を走るのが海辺の犬らしかった。父がやがて、
「気をつけなさい。狂犬だといけないよ」と注意した。
 晴子が、
「狂犬だって!」
と、大笑いに笑って、一層犬に来い、来い、した。
「狂犬じゃないわ、お父様これ」
「舌出してないから大丈夫よ」
「あら狂犬て舌出すの?」
「ああ。晴子みたいに」
「ひどい!」
 散々晴子や佐和子とじゃれ、斑犬は今父の靴の踵にくっついた。父は風呂敷包みを下げている。中に鶏肉が入っていた。歩くにつれて包みを振る手が前、後、前、後。それにつれて斑犬もひょいと駈け、鼻面を引こめ、またひょいと駈け跟いて来る。佐和子がおかしがって、
「やあ父様についちゃった、かぎつけた」と囃した。
「ほんと! ほんと! お父ちゃまについちゃった!」
 父が振かえった拍子に、犬の鼻へ包が擦りついた。犬は、砂をとばして素速く数歩逃げた。父は、ひどくびっくりしたらしく、娘達が思い設けぬ真面目な声で、
「ゲッタアウエー! シッ! シッ!」

 ジムバリスト氏の来朝や、アンナ・パヴロワ、近くパーロー女史等の来られた為め、私共芸術を愛する者は、各自の程度なりに、どの位得る処があったかわかりません。ジムバリストの絃の或る音や、「瀕死の白鳥」、或る小品の美が今も心に生きています。
 フランス現代美術展覧会に陳列されたロダンの彫刻数点、クローデル嬢の作品も、深い感激を与えたものです。
 読んだものの中では、「神曲」、ゲーテの作品数種。
 印象の種類から云えば、まるで其等のものとは異いますが、先達て中、二科にあった「懶画房」? と云う絵。あれが時々思い出されます。あの画面に漲っていた傷心の感、自分が時に苦しむ或る気分が、不思議に柔かい黄色帽となって、椅子にとまった瘠男の頭にのっているような気がしました。

 私のところは、割におうようなので、些細なことで何や彼と廻してくるようなことはありません。
 ただ、その表現がなかなか整理されず――つまりは、皆の人によくのみこませようとするのでしょうが、重複したりして煩わしいものがあります。
 一番関心を持たせられるのは、お役所などから廻ってくる印刷物に相当ムダがあって例えば“祝い終った、さあ働こう”など、全く言わでものことではないかと思います、まるで“朝になった、さあお起きよう”というのと同じことでしょう、こんな標語をレイレイしく印刷するより、もっと内容を厳選してほしいと思います。